学校教育ー20 オタクのように体育授業研究に取り組む
◆ものごとに習熟するには、ある時期、徹底的にそのことに没頭する時間が必要なのではないでしょうか。体育授業研究に夢中になっていた頃、私は体育授業オタクといってもよい状況でした。自分でも、趣味と仕事の境目が分からなくなる程、夢中になった時期がありました。
そこまで夢中になって見えてきたことが多々あったことは事実です。
体育の授業研究をしているとデータをとることが習慣となるものです。当初はアンケート調査くらいでしたが、やがて写真やビデオで子どもたちの動きの変容や、私自身の言葉、表情等を分析してみたくなりました。
ある時、教育実習生を私が受け入れることになった時、その実習生に授業記録と称してビデオカメラを預けました。しかし、撮影された映像は、的外れな場面が記録されており、がっかりした記憶があります。自分で撮影したい場面と教育実習生が撮影したい場面には大きなギャップがあったのです。
体育授業で私が重点をおいていた箇所が、その実習生には伝わっていなかったのです。これは、今にして思えば無理もないことです。子どもたちの僅かな動きの変容や教師の考え抜かれた言葉かけを研究している私の思いがそうそう簡単に大学生に伝わるはずはありません。
私は、子どもたちの動きを写真で記録しました。当時は、デジカメなどありませんから、シャッター速度を工夫して、何度も納得のいく写真が撮れるまで繰り返したものです。
写真は、レポートにまとめたり、パネルにまとめたりして研究会の発表に活用しました。
やがて、デジカメが登場すると、自分で三脚とカメラを持って授業を行い、タイマーを使って授業場面を撮影したり、動画を撮影したりしたものです。この動画や写真は授業後の休み時間に子どもたちと一緒に見ては、動きについて色々と意見を出し合ったものです。
髙橋健夫先生に師事してからは、体育の授業評価法を活用して、自分の授業を子どもたちがどのように評価していたのか、単元の毎時間記録して、意識の変容を追跡したものです。
やがて、体育の授業評価は、単元だけでは満足できなくなり、1年間の記録をとるようになりました。しかも、学級生活の集団意識調査も同時に行い、子どもたちの変容を学級経営と結び付けながら年間通して分析することに成功しました。
それによると、子どもたちは運動会を終えた10月中頃から、仲間意識がグンと向上し、私の学級経営は上昇気流に乗るのです。同時に体育授業についても、高い評価で安定するようになっていきました。これは、高学年でも低学年でも同じ結果となりました。
体育授業と学級経営、どちらも基本となっているのは、教師と子どもたちの肯定的な人間関係、子どもたち同士の肯定的な人間関係だということが自分の中では、明確になりました。
この時期、体育授業オタクだった私は、自分で言うのもおこがましいのですが、体育授業の山場、ポイントとなる場面を肌で感じることができました。
ここではAさんに声をかけ、こうなった時にはB君の補助をする、ということが授業の流れの中で感覚的に理解できたのです。ある意味、授業での子どもたちの様子を察知する感覚が研ぎ澄まされていたのではないでしょうか。
私が体育授業オタクの時期に得た授業理解、児童理解は、他の教科でも十分に活用できました。そして、この時期の経験と知見は今でも私の貴重な財産となっています。
思えば私は、少年時代からいつも何かに夢中になっていたように思います。取り組み始めると、とことんやらなくては気が済まなかったのです。
今でも夢中になっていることが幾つかあります。
これを世間では、オタクというのでしょうか?