体育授業

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鉄棒痛いをどうするか?  「教育は愛」No.142

鉄棒の授業をすると2つの痛いにぶち当たります。手の皮とひかがみの痛みです。この予防策として、サポーターなどの防具としての教具が効果的です。しかし、令和の時代に、保護者の理解を得るにはどうすればよいのでしょうか。担任の熱意と誠意で保護者との信頼関係を構築し、保護者に子どもの背中を押してもらえるようにすればよいのですが・・・。
体育授業

めあて 「教育は愛」No.141

子どもたちの能力は子どもの人数分異なります。従って、めあても子どもの人数分だけあるのです。これが、令和になってよく言われるところの個別最適化の学習です。どの子にも明確なめあてを用意し、絶えざる挑戦性を用意することが教師の仕事です。
体育授業

チームワークを学ぶ 「教育は愛」No.140

チームワークは、教師が説明してすぐに高まるものではありません。高学年にもなると、同じチームの中でもなかなか本音が言えず、マイナスの雰囲気になることもしばしばです。喧嘩になることだって珍しくありません。しかし、そんな時こそ、真のチームワークを学ばせる絶好の機会です。トコトン本音を出させて、わだかまりをなくすところに真のチームワークを見出すことができるのです。
体育授業

高学年の体育授業 「教育は愛」No.139

高学年の体育授業では、中学年より一段上の知的理解が進みます。動きや運動についても知的に探究できるようになることが高学年の特徴です。同時に、器械運動では、できる・できないがより明確になるので、苦手な子どもは敬遠するようになる傾向もあります。子どもたちの運動技能に大きな差が出る高学年の子どもたち、この差をいかに吸収しながら授業をプログラムするかが、子どもたちを夢中にさせる授業の重要な鍵となります。
中学年

体で表現する楽しさ 「教育は愛」No.136

表現運動で体を動かし、表したい感じを表現するためには、自分の体を思い通りに動かすことが求められます。本人は真っ直ぐ手を伸ばしているつもりでも、実際には伸びていない、これは、自分の体の現在の状態をイメージできないのです。もっと言えば、自分の体の使い方が分からないでいる、と言ってもよいでしょう。これは、幼児期からの運動経験の不足が原因しています。基礎的・基本的な感覚や動きは、幼児期から積みかさていきたいものです。
中学年

投力の向上 「教育は愛」No.132

投力は、昭和60年くらいをピークに年々低下しています。平成、令和の時代になっても向上する気配がありません。これは、子どもたちの経験不足からくるものです。子どもたちは、自分の体の使い方が分からないまま年を重ねているのです。ですから、正しい動きを引き出すような運動を手順良く指導する必要があります。投力の低下は、投力だけの問題ではないのです。体の使い方という人間の運動機能の根幹にかかわる問題なのです。
中学年

「できた!」の一言を求めて「教育は愛」No.131

器械運動の授業で、どのように高度な技をできるようになっていても、授業の中で「できた!」という声が聞かれなければ、子どもたちは真の学びをしているとは言えません。トレーニングかショーになっているのです。子どもたちから「できた!」という声が聞かれるようになる授業には、明確なめあてがあります。めあての条件を3つ提示させていただきました。
中学年

相撲の効果 「教育は愛」No.130

全力を出す機会が減少している昨今、子どもたちは自分の全力が分からないまま中学校へ進学することも珍しくありません。体が柔らかい中学年までの間に、友達と取っ組み合う相撲を経験させることをお勧めします。子どもたちは、自分の体の使い方を理解するとともに、決して攻めてはならない人間の体についても理解できるようになるのです。そして、全力を出す相撲を沢山経験すると、不思議と喧嘩も減少します。これは、相撲が持つ、情緒を安定させる効果のお蔭ではないでしょうか。
中学年

ルールを守ること 「教育は愛」No.129

中学年は、運動能力だけでなく、社会性も大きく成長する時期です。この時期に、勝敗を左右するようなゲームの授業でルールを守ることの大切さについてしっかりと理解させ、身に付けさせたいものです。ルールを守ることは社会性の基礎・基本です。しかし、焦りは禁物です。長い目で繰り返し指導する根気強さが教師には求められます。
中学年

好奇心に火を点ける 「教育は愛」No.124

好奇心旺盛な中学年の子どもたち。授業を行う際にも与える一方の授業ではなく子どもたちに創意工夫させる余地を入れた指導方法も一考ではないでしょうか。子どもたちに工夫するよう促すと、一生懸命に考え、工夫する姿が見られました。中学年では、学びにおける柔軟性を持たせることも大切だと思います。