家庭教育

家庭教育

誉める 「教育は愛」No.372

ある一流の芸術家が敬愛する自分の母親のことを振り返り「子どものことを誉めて、誉めて、誉めまくる母でした」と、コメントされていました。やはり、子どもは誉められて成長することをしみじみ感じました。
家庭教育

子どもの夢 「教育は愛」No.359

親の子どもに対する期待が大き過ぎて、それを抱えきれずに悩んでしまう子どもを数多く見てきました。受験は、その典型です。志望校は子どもの希望ではなく、親の希望が優先されている場合も少なくありません。子どもの意志はどこへ行ってしまったのでしょうか?
家庭教育

自分の居場所 「教育は愛」No.348

自分の居場所、自分がこれをしている時は夢中になれる、ここにいると安心できる、など、好きなことにのめりこむことと自分を理解してくれる人たちと一緒にいる場所の二通りの居場所があると思います。
家庭教育

ファミリー 「教育は愛」No.340

弟の献杯の挨拶で、「最初は、母と兄と私の3人しかいなかったんです。それが、今はこんなに沢山の人数が集うようになりました。ここにいるのは、みんなファミリーなんです」という件がありました。
家庭教育

子どもは社会からの預かりもの        「教育は愛」No.335

母の13回忌法要を執り行いました。市営霊園に眠る母、特定のお寺の檀家でもないので、法要の読経は派遣僧侶を依頼しなければなりません。そこで、今回は私が読経して供養することとしました。雨予想の天候も母のお蔭でしょうか、雨に降られることなく法要し、会食へ運ぶことができました。
家庭教育

Excuse me 「教育は愛」No.236

「すみません」の一言で見ず知らずの人との気持ちの良い関わりができるものです。しかし、この「すみません」は、自然発生するものではありません。家庭教育の中で、他人への気遣いとして、幼い頃から繰り返し指導し、習慣となるまで昇華しておくことがとても大切だと思います。「すみません」だけではありません。家庭教育で習慣としておくことは、もっと沢山あるのではないでしょうか。
家庭教育

おむすびと愛情 「教育は愛」No.223

スポーツ少年団の子どもたちが、母親に感謝の気持ちを表す言葉の中に「おむすび」がよく登場します。おむすびには、握っている人の愛情も一緒に詰められているのではないでしょうか。その家独自のおにぎりの形、母親が、自分の母親から、そのまた母親から・・・教わり、伝えられている形なのかも知れません。
家庭教育

お互い様ですから 「教育は愛」No.217

子ども同士の些細な喧嘩に親が登場するようになってしまいました。そして、加害、被害に執拗にこだわり、喧嘩相手を執拗に責めるのです。中には、子ども同士の謝罪だけでは済まなくなり、相手の親からの謝罪を担任へ要求するようになることもしばしばです。もっと、「お互い様」の精神を持って、我が子もその友だちも、おおらかな気持ちで見守り、育てることができれば、子どもたちものびのびと成長できるのではないでしょうか。
家庭教育

あたたかい家庭環境 「教育は愛」No.199

子どもの情緒は、家庭環境、すなわち保護者の情緒の安定に左右されます。夫婦で子育ての協働体制が出来ているご家庭のお子さんは、学校でも笑顔がいっぱいで情緒がとても安定しています。ところが、学校でも情緒が不安定なお子さんのご家庭では、保護者の方の感情がとても不安定です。かつ、夫婦間の協働体制に疑問を生じてしまう場合があります。子どもの豊かな心の原点は家庭教育そのものにあると考えます。
家庭教育

母の明るさ 「教育は愛」No.168

江戸っ子の母は、女手ひとつで私たち兄弟を育て上げてくれました。苦労の日々だったはずですが、母はいつも明るく私たちを元気付けてくれました。母のユニークな想い出を書かせていただきました。