管理職

管理職

話しをすること 「教育は愛」No.259 

管理職になると大勢を相手に話しをする機会が増えます。そして、話しているのに、聞いていない者がいた、居眠りしている者がいた、と憤慨している管理良くも散見されます。そもそも、話しをするということはとても難しいものなのです。噺家のように、全員を惹き付けられるような話しは到底できるものではありません。しかし、私は話すのが大好きです。噺家のように大勢を惹き付けられるような話しができるよう、内容、声、表情等々を試行錯誤しているところです。
管理職

損切り 「教育は愛」No.249

教職員の願いは、できる限り叶えられるようにベストを尽くします。それでも、自分の要望を際限なく言ってくる職員もいます。そうした場合、私は損切りをしています。これ以上、この職員の要望を叶えようとすれば、全体のバランスが失われてしまうという限界点を明確に定めています。限界点を超えようとすれば、躊躇無く切ります。それ以上付き合っていれば、全体の力が衰退してしまう、その限界点で思い切り切るのが損切りです。FXの世界ではストップ・ロス・オーダーとも言います。
管理職

生き方 「教育は愛」No.245

昭和から平成の頃、授業や教育のこと以前に、人としての生き方について、教えてくださる先輩が地域に数人ずつはいらっしゃったような気がします。宴会で立つ時に座布団を踏まないなど、細かなことですが、人間関係を良好に保つには大切なことを教えてくださったものです。令和の時代、このようなことを言える人は管理職しかいないでしょう。しかし、今の管理職は、当たり障りのないことばかり。自分も良かれ、と思われることは積極的に言える管理職となるよう自省の日々です。
管理職

リーダーに向かない人 「教育は愛」No.232

私は、以前から自分が勉強になると思った内容をメモして、ノートに蓄積する習慣を持っています。ノートは、数十冊にも達していて、現在進行中です。さて、その中でリーダーに向かない人というページに目が留まりました。10年以上前のメモですが、今、読み返してもなるほど、と思います。
管理職

リーダーの権威 「教育は愛」No.230

学級担任の時、学級をまとめあげるために、様々なリーダーシップについての文献を読んだり、研修会に参加したりしました。そこで出会ったのが「韓非子」でした。私は、韓非子のリーダーの権威を成り立たせるための4つの条件がとても気に入り、自分の学級経営に活かしたものです。以後、いろいろなリーダーを経験しましたが、その度にこの4つの条件を活用し、自己研鑽を積んでいます。
管理職

萎縮し過ぎる校長 「教育は愛」No.197

管理職のパワハラが問題視され、その改善のために教育委員会でもいろいろな方策を打ち出しています。パワハラなど、絶対にあってはいけないことです。しかし、パワハラを心配し過ぎるあまり、自分の意見を言えないくらい萎縮してしまっている管理職も散見されます。教職員のご機嫌をとることに精を出し、肝心の学校経営を二の次にしてしまっている管理職です。そもそも全教職員から支持されることなどあり得ないのです。時に嫌われることを覚悟して、物を言える管理職、とりわけ校長であってほしいと思います。
管理職

大事の前の小事 「教育は愛」No.196

「大事の前の小事」リーダーがゴールを目指して、奮闘してもその思いを理解できずに、勝手にスタンドプレーをする者が少なからずいるものです。そのような時、ムキにならずに、「大事の前の小事」と達観して、対局を見ることがゴールへ向かって進む上策だと思います。
管理職

「泰然自若」 「教育は愛」No.192

令和に時代は進み、多様な考え方をする教師が増えています。時に、自分の考えてきたことを否定されることもあります。しかし、いかに時代は変っても変らぬものもあるはずです。それを年末に視聴した何本かの「忠臣蔵」から強く感じました。そう、大石内蔵助の姿を通して。そして、私の中に浮かび上がってきた言葉、それが「泰然自若」です。ジタバタせず、自分にできることを精一杯、日々、重ねてまいりたいと思います。
管理職

管理職の覚悟 「教育は愛」No.163

管理職には、ある種の覚悟が必要になると思います。時には、自分の家庭よりも学校を優先することが求められるのではないでしょうか。教諭との決定的な違いは、ここにあると思います。ただし、働き方改革全盛の今、管理職の優先順位が変ってきたように感じます。これも昭和時代の私の考え方が古いからなのでしょうか?
管理職

~がないからできない?? 「教育は愛」No.98

~がないとできないという人は、いつも、できないことの理由を見つけるのに熱心です。ですから、この人に~を与えても、物事を前に進めることはできません。根本的にやる気がないのです。やる気のない人に、何を与えても新しいことを生み出すことなどできません。学校の管理職には、~がなくても創意工夫の中から、できるようにすることができる教師の育成が求められているのではないでしょうか。