For The FLAG  長嶋JAPANの想い出 1 「教育は愛」No.378

人生の師

人生の師ー11 For The FLAG 長嶋JAPANの想い出 1

2021年8月7日(土)、東京2020オリンピック大会で野球侍ジャパンの稲葉監督が金メダルの胴上げに舞いました。オールプロを揃えて、金メダルを狙った2004年の長嶋JAPANから、実に 17年間の月日を要しました。

 私は、長嶋茂雄監督が掲げられた「For the FLAG」の遺伝子が令和の時代まで脈々と伝えられた成果だと胸を熱くしました。優勝が決まった後で、アテネオリンピックからの長嶋茂雄監督の熱い思いを頭に巡らしながら感動を伝えるお手紙を書かせていただきました。

 私は長嶋茂雄監督を人生の師と仰いでいます。それは、長嶋茂雄さんがご逝去された今でも変ることはありません。

 小学校6年生の時、長嶋茂雄ミスタープロ野球の引退試合、引退セレモニーをテレビ放映で見た時、今までにない衝撃を受けました。 

 長嶋茂雄さんの生き方に深く感銘を受けてしまったのです。以後、90番時代、苦しかった解任事件、Jリーグに負けないプロ野球人気復活の狼煙を上げた33番時代、そして、再び3番を付けてのミレニアムON決戦。私の人生は常に長嶋茂雄さんの影響を受けていました。

 そして、「野球というスポーツは人生そのものだ!」という名言とともにご勇退されたのは、2001年の9月27日です。私は、9月26日に東京ドームへ足を運びましたが、序盤に先発投手が打ち込まれ、大敗を喫したのを覚えています。翌日の記者会見では、長嶋茂雄監督の清々しい笑顔が忘れられません。

 その翌年2002年には、アテネオリンピックへ向けて初のオールプロを揃えるナショナルチームの監督に就任されました。アジア選手権では、全勝で優勝しアテネへの切符を手に入れ、2004年の本大会を前にして3月4日に脳梗塞のため緊急入院され、アテネオリンピックでは、長嶋茂雄さんの「3」を記したユニフォームがベンチ入り、伏兵オーストラリアに勝利を阻まれ、銅メダルの結果に終わりました。

                   次号へつづく

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