学校教育

評論家と実践家 「教育は愛」No.266

評論家は、誰かがやらないからできないのだ、と他人の所為にして、自分の努力は語ろうとしません。実践家は、なぜ、できないのか、自分に何が足りなかったのかを省察し、謙虚に努力を重ねます。学校教育を推進する教師は実践家です。他人のことなど論じている場合ではありません。私は幾つになっても実践家として仕事に取り組む覚悟です。
生涯学習

切り花  「教育は愛」No.265

私は、切り花を飾るのが大好きです。担任時分には、切り花を通して、生命の大切さについて教えてきたつもりです。いつまでも枯れたままのお花を花瓶にそのままにしておくことは、命の教育においては、いかがなものか、と考えていました。花は見頃があり、散り際もあります。どこか人生に似ているように思うのは、自分の年齢の所為でしょうか?
学校教育

卒園式と卒業式 「教育は愛」No.264

中学校の卒業式と幼稚園の卒園式に来賓として参加してきました。どちらも大変感動的で、胸が熱くなりました。そして、改めて、卒園式、卒業式は子どもたちにとっても、保護者の皆様にとっても、大切な歴史の一部であり、人生の節目となる重要なセレモニーだと実感しました。卒業式では、子どもたち、保護者・地域の皆様、教職員の心がひとつになります。ひとつになって、限りない愛情を注ぐ大事な時間、セレモニーです。次はいよいよ本校の卒業式です!
学校教育

歌唱  「教育は愛」No.263

卒業式の歌唱指導を見ていて、発声や声の大小だけなく、大切なのは歌を通して伝えたい気持ちの持ち方であることだ分かりました。気持ちが入っているからこそ、歌詞に力が入り、聴いている人に感動を与えるのでしょう。宝塚歌劇のジェンヌさんたちの役作りを彷彿とさせました。
職場

学校とPTAは敬愛で 「教育は愛」No.262

PTAは、学校には欠かせないものだと私は思っています。PTA役員の皆様は、お忙しい中、ボランティアスピリッツを持って活動をしてくださっています。このような方たちと学校はもっと交流を深めるべきだと考えます。まずは、この方たちを管理職が率先して大切にするのです。学校とPTA役員さんたちとの間には「敬愛」を持って絆を深めてはいかがでしょうか。その成果はすべて子どもたちに反映されるのですから。
職場

視野の広さ 「教育は愛」No.261

職場でいろいろな人と仕事をしていると、職員一人ひとりの視野の広さが気になります。年齢に関係なく、視野の広さは異なるものです。常に職場全体を俯瞰して見ている職員の意見は「なるほど」と思うことが多いのです。反対に自分のことばかり考えている職員の意見は、独善的で我が儘です。聞くに堪えません。私は、キャリアに従って、視野も広くしていく必要があると思います。ましては教師は、子どもたちに生き方まで導かなくてはならない存在なのですから。
管理職

校長職の喜び 「教育は愛」No.260

校長職は、それなりのプレッシャーもありますが、自分で学校をつくる楽しさに溢れています。私は、校長職を自分の「天職」だと思っています。自分で理想とする学校像を描き、それに向けて日々、努力を重ねるのです。そして、それが形になった時の達成感は他に類を見ないほど大きな喜びとなります。「教育は愛」頑張ります!
管理職

話しをすること 「教育は愛」No.259 

管理職になると大勢を相手に話しをする機会が増えます。そして、話しているのに、聞いていない者がいた、居眠りしている者がいた、と憤慨している管理良くも散見されます。そもそも、話しをするということはとても難しいものなのです。噺家のように、全員を惹き付けられるような話しは到底できるものではありません。しかし、私は話すのが大好きです。噺家のように大勢を惹き付けられるような話しができるよう、内容、声、表情等々を試行錯誤しているところです。
生涯学習

動物とのふれあい 「教育は愛」No.258

動物とのふれあいについては『少年と犬』を読んでの項でも書かせていただきました。動物と人の間には、心の絆が結ばれるものです。両者の間には愛が伝わります。私の知り合いにも愛犬家が多いのですが、皆、ペットではなく、家族の一員として暮らしています。もちろん、我が家の愛猫、菜々さんも大切な家族です。
職場

懇親会 「教育は愛」No.257

懇親をぜひ、深めたいと思える懇親会は、明日への力となります。そして、そこに集うメンバーは生涯の宝です。