千葉 裕

管理職

リーダーに向かない人 「教育は愛」No.232

私は、以前から自分が勉強になると思った内容をメモして、ノートに蓄積する習慣を持っています。ノートは、数十冊にも達していて、現在進行中です。さて、その中でリーダーに向かない人というページに目が留まりました。10年以上前のメモですが、今、読み返してもなるほど、と思います。
学校教育

自走する授業 「教育は愛」No.231

授業デザインを研究している教師の研究授業では、子どもたちが自走します。導入で教師が笑顔と流暢な英語で誘い、いつの間にか、学習ゲームの行い方を理解させ、子どもたちへゲーム開始を呼びかけます。子どもたちは嬉々として、学習ゲームに取り組み、授業のねらいである会話の定型を習熟させていくのです。このような授業は今までに見たことがありません。
管理職

リーダーの権威 「教育は愛」No.230

学級担任の時、学級をまとめあげるために、様々なリーダーシップについての文献を読んだり、研修会に参加したりしました。そこで出会ったのが「韓非子」でした。私は、韓非子のリーダーの権威を成り立たせるための4つの条件がとても気に入り、自分の学級経営に活かしたものです。以後、いろいろなリーダーを経験しましたが、その度にこの4つの条件を活用し、自己研鑽を積んでいます。
教師

教師の仕事 「教育は愛」No.229

小学校の教師は、MAX35人の子どもたちを一斉に指導しています。その中で、子どもたち一人ひとりの願いや悩みに寄り添っているのです。このような状況を理解して、教師を思いやってくださる保護者の方がほとんどです。しかし、なかには、一方的に教師を責め、心ない言葉を浴びせてくる保護者の方もいらっしゃいます。その言葉により教師は傷つき、最悪の場合は病を発症し、職を辞する者までいるのです。トイレに行く時間さえないくらい子どもファーストを貫いている教師に節度ある対応をしてくださるよう心より願っております。
教師

謝れる教師の余裕 「教育は愛」No.228

教師は間違ってはいけない、その思いが強すぎて、若い頃は、間違っても素直に謝ることができませんでした。キャリアを積んで、子どもたちとの関係づくりに余裕が出てくると、間違った時、自然に「ごめんね。先生が間違ってました」と言えるようになるものです。教師だって人間なのです。間違うことだってあって当然なのです。しかし、法に触れる様な間違いは絶対に許されるものではありません。教師なのですから・・・。
教師

教師と憧れ 「教育は愛」No.227

「小学校の教師になりたい」、理由を尋ねると「○○先生が優しくて、憧れているからです」と答えが返ってきます。子どもたちは、教師のことをよく見ています。見ていないようでしっかりと見ているのです。子どもたちを一人の人として、丁寧に接している教師は、子どものことを誉めます。子どもたち一人一人の良さを見出そうと努力しているのです。子どもたちが憧れる教師の数が増えていけば、教師を志望する学生も自ずと増えるのかも知れません。
生涯学習

地域の教育力 「教育は愛」No.226

かつては、地域主催のイベントが学校を会場に開催されました。そこには、小学生や中学生が集い、忘れられない思い出を作ったものです。焼きそば、フランクフルト、豚汁、ヨーヨー釣りなど、手作り感満載のお祭りです。地域の結びつきが弱くなっている今、昔には戻れませんが、新しい形で何かできないものでしょうか。そんなことを地域・保護者の方とお話ししながら考えてしまいました。
生涯学習

子どもの人数分の才能! 「教育は愛」No.225

学校では見ることのできない才能を子どもたちは持っていることがあります。学校の勉強とは関係の薄いところ、将棋、かるた、野球、サッカー、ピアノ等々・・・。子どもたちの学校では見えないような才能を知った時、教師の視野も広がります。子どもたちを多面的に理解できるようになります。子どもたちの人数分だけ才能はあります。その才能を引き出し、伸ばすことは大人の役目だと考えます。
職場

キャリアより情熱 「教育は愛」No.224

キャリアを積んでいる=仕事ができる の構図は成り立ちません。勿論、キャリアを積んで立派な仕事をしている教師も沢山います。しかし、キャリアが浅くても、いい仕事をしている若い教師もいます。その教師を見ていると、早朝から出勤して、人一倍の仕事に取り組んでくれています。この教師には、情熱が溢れているのです。情熱を持って取り組む教師には、自ずと子どもたち、保護者、同僚からの信頼も集まります。
家庭教育

おむすびと愛情 「教育は愛」No.223

スポーツ少年団の子どもたちが、母親に感謝の気持ちを表す言葉の中に「おむすび」がよく登場します。おむすびには、握っている人の愛情も一緒に詰められているのではないでしょうか。その家独自のおにぎりの形、母親が、自分の母親から、そのまた母親から・・・教わり、伝えられている形なのかも知れません。