千葉 裕

コラム

若々しい魅力的な方 「教育は愛」No.137

何歳になっても年齢を感じさせない魅力な方がいらっしゃいます。そのような魅力的な方々とお会いした時、若さと健康の秘訣について質問させていただきました。答えは、特別なことではなく、食事、睡眠、運動、趣味など、身の回りのことについて、継続的に気を付けていらっしゃる、ということでした。若さと健康は遠いところにあるのではありません。身近なところにあるのではないでしょうか。一番大切なのは、心の持ち方なのかも知れません。
中学年

体で表現する楽しさ 「教育は愛」No.136

表現運動で体を動かし、表したい感じを表現するためには、自分の体を思い通りに動かすことが求められます。本人は真っ直ぐ手を伸ばしているつもりでも、実際には伸びていない、これは、自分の体の現在の状態をイメージできないのです。もっと言えば、自分の体の使い方が分からないでいる、と言ってもよいでしょう。これは、幼児期からの運動経験の不足が原因しています。基礎的・基本的な感覚や動きは、幼児期から積みかさていきたいものです。
人生の師

研究スタイル 「教育は愛」No.135

髙橋健夫先生の研究室で1年間、研修する機会を得た私は、学生さんたちと協働研究をさせていただくようになりました。そして、研究経過を勉強会で発表すると、髙橋先生から「現場の先生は、できるようになったことばかり発表しますね。もっと、できなかった子どもに視点を当てて研究を進めた方がよいのではないでしょうか」とご指導いただきました。目から鱗が落ちるとは、この時の私の心境です。以後、私の研究スタイルは、できなかった子どもをどのようにできるようにするか、という切り口で進めるようになりました。
人生の師

髙橋健夫先生の授業研究 「教育は愛」No.134

私が人生の師と仰ぐ髙橋健夫先生は、学校現場に根ざし、体育授業研究を進める上でとても効果的な授業評価法を確立されていました。私は、この授業評価法を活用して体育科の授業研究を進めていたのですが、幸運にも髙橋健夫先生に1年間師事できる機会に恵まれました。髙橋先生の体育科教育論、会う人を皆、魅了するお人柄、私の人生に大きな影響を与えてくださいました。
家庭教育

母のお弁当 「教育は愛」No.133

母のお弁当にはいろいろと思い出があります。中学生、高校生に母が用意してくれたお弁当。おかずは粗末なものでしたが、有り難かったです。母は、働きながら短い時間を使って私のために一生懸命にお弁当を作ってくれたのです。それだけで感謝の気持ちでいっぱいです。そぼろと卵焼き、私にとってはおふくろの味です。
中学年

投力の向上 「教育は愛」No.132

投力は、昭和60年くらいをピークに年々低下しています。平成、令和の時代になっても向上する気配がありません。これは、子どもたちの経験不足からくるものです。子どもたちは、自分の体の使い方が分からないまま年を重ねているのです。ですから、正しい動きを引き出すような運動を手順良く指導する必要があります。投力の低下は、投力だけの問題ではないのです。体の使い方という人間の運動機能の根幹にかかわる問題なのです。
中学年

「できた!」の一言を求めて「教育は愛」No.131

器械運動の授業で、どのように高度な技をできるようになっていても、授業の中で「できた!」という声が聞かれなければ、子どもたちは真の学びをしているとは言えません。トレーニングかショーになっているのです。子どもたちから「できた!」という声が聞かれるようになる授業には、明確なめあてがあります。めあての条件を3つ提示させていただきました。
中学年

相撲の効果 「教育は愛」No.130

全力を出す機会が減少している昨今、子どもたちは自分の全力が分からないまま中学校へ進学することも珍しくありません。体が柔らかい中学年までの間に、友達と取っ組み合う相撲を経験させることをお勧めします。子どもたちは、自分の体の使い方を理解するとともに、決して攻めてはならない人間の体についても理解できるようになるのです。そして、全力を出す相撲を沢山経験すると、不思議と喧嘩も減少します。これは、相撲が持つ、情緒を安定させる効果のお蔭ではないでしょうか。
中学年

ルールを守ること 「教育は愛」No.129

中学年は、運動能力だけでなく、社会性も大きく成長する時期です。この時期に、勝敗を左右するようなゲームの授業でルールを守ることの大切さについてしっかりと理解させ、身に付けさせたいものです。ルールを守ることは社会性の基礎・基本です。しかし、焦りは禁物です。長い目で繰り返し指導する根気強さが教師には求められます。
学校教育

音はひとつ 「教育は愛」No.128

先輩から教えていただいたことです。起立する時の音はひとつ。これを自分の学級で指導したところ、子どもたちの中にけじめある行動の姿と空気が学級に充満するようになりました。けじめは、言葉だけで指導するのではなく、日々繰り返される行動の仕方から指導することができるということを先輩の実践から学ばせていただきました。