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指導主事から学ぶ 「教育は愛」No.255

教育委員会の指導主事は、教科教育のエキスパートであるとともに教育委員会事務局で様々な苦労を重ね、底知れぬ人間力を身に付けている特別な存在です。このような指導主事に自分の研究内容を聞いていただき、指導をいただけるということは、自分を高める絶好の機会となります。大切なことは、全員が主役になる、そんな研修の在り方です。
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自信と過信 「教育は愛」No.246

実力があっても自信を持てない教師がいます。どこまでも謙虚なのです。仕事には100点満点などありません。100点満点を取らないと満足できない、自信が持てないというのは謙虚過ぎます。例え100点満点でなくても、努力した成果が表れていれば、自信を持ってよいのではないでしょうか。努力しているのですから。反対に、自分を過剰評価して、過信している教師には、何を言っても無駄です。自分で気付くまで待つしか無いでしょう。
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場を明るくしてくれる教師 「教育は愛」No.240

この教師が行くところ、みんなが笑顔になっていきます。なぜでしょう?この教師は他人の悪口を決して口にしません。悪口が始まろうとするとサッと話題を変えてしまいます。全てに誠実なのです。子どもたちへの指導にも情熱と真剣さが溢れています。叱る時は、熱を込めて叱ります。それでもこの教師の真心が子どもたちに伝わるのです。ですから、子どもたちもこの教師がいるお蔭で安心して、学習に集中できます。子どもたちからも保護者からも、教職員からも信頼されるこの教師、その真心が人の心を打つのではないでしょうか。
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体育の研究授業参観 「教育は愛」No.239

かつて、体育の研究授業を参観する時、私は指導者の先生に実際の授業を見ながら、いろいろと質問させていただき、勉強しました。時が過ぎ、私が指導者となった時、当時の私と同じように授業を参観しながら私に質問してくる先生がいました。私はその先生の熱意に惹かれ、以後、体育授業についていろいろな議論を重ねました。そして、同じ勉強会で学び、私が退いてからは、その先生がリーダーとなって勉強会を盛り上げてくれています。最近、この先生のような熱意溢れる先生がめっきり少なくなったような気がしてなりません。
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教師の仕事 「教育は愛」No.229

小学校の教師は、MAX35人の子どもたちを一斉に指導しています。その中で、子どもたち一人ひとりの願いや悩みに寄り添っているのです。このような状況を理解して、教師を思いやってくださる保護者の方がほとんどです。しかし、なかには、一方的に教師を責め、心ない言葉を浴びせてくる保護者の方もいらっしゃいます。その言葉により教師は傷つき、最悪の場合は病を発症し、職を辞する者までいるのです。トイレに行く時間さえないくらい子どもファーストを貫いている教師に節度ある対応をしてくださるよう心より願っております。
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謝れる教師の余裕 「教育は愛」No.228

教師は間違ってはいけない、その思いが強すぎて、若い頃は、間違っても素直に謝ることができませんでした。キャリアを積んで、子どもたちとの関係づくりに余裕が出てくると、間違った時、自然に「ごめんね。先生が間違ってました」と言えるようになるものです。教師だって人間なのです。間違うことだってあって当然なのです。しかし、法に触れる様な間違いは絶対に許されるものではありません。教師なのですから・・・。
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教師と憧れ 「教育は愛」No.227

「小学校の教師になりたい」、理由を尋ねると「○○先生が優しくて、憧れているからです」と答えが返ってきます。子どもたちは、教師のことをよく見ています。見ていないようでしっかりと見ているのです。子どもたちを一人の人として、丁寧に接している教師は、子どものことを誉めます。子どもたち一人一人の良さを見出そうと努力しているのです。子どもたちが憧れる教師の数が増えていけば、教師を志望する学生も自ずと増えるのかも知れません。
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読書の習慣 「教育は愛」No.214

読書の習慣は、子どもたちだけでなく、教師もぜひ、確率したいものです。本から知識や教養を意識的に学ぶことは、教師という仕事をする上でも大きな力、栄養となります。ジャンルは問いません。いろいろなジャンルの本を読み、幅広い世界を頭の中に入れておきたいものです。
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本気の教師 「教育は愛」No.212

保護者からのクレームを怖れ、働き方改革の名のもとに、本気でぶつかる教師が少なくなったような気がします。昭和から平成の中頃までは、子どもたちに涙を流しながら、本気でぶつかる教師がどの学校にもいたように思います。子どもたちのよりよい成長を本気で願い、教育していれば、子どもたちが誤った行為をした姿を見れば、決して見過ごすことなどできないのです。本気だから・・・。
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察することができる教師 「教育は愛」No.210

子どもたちや保護者から信頼される教師は、子どもや保護者の心を読み、察することができる教師です。どうしたら心を読み、察することができるのでしょうか。私は、その教師の人生経験に起因するものと考えます。苦労した経験、反対に愛された経験、それらの経験が積み重なって人生経験となり、教師になっても人としての基盤に組み込まれるのです。その基盤が、教師をしているうちに感性となり、さらに察する力に磨きがかかるのではないでしょうか。