学校教育

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教室掲示 「教育は愛」No.234

教室掲示は、子どもたちに安らぎを与え、意欲を向上させる役割があります。子どもたちを大切にする教師は、学級の歴史や行事の様子を掲示し、子どもたちの絵画や作文などを上手にデザインします。教室全体が、芸術作品のようです。授業力だけでなく、教室教示についても研究することをお勧めします。最初は、先輩のマネでよいのです。スマホ片手に校内を一巡するだけで、沢山の貴重な資料を手にすることができるはずです。
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クラブ活動 「教育は愛」No.233

クラブ活動を参観していると、開放感に満ち溢れた子どもたちの笑顔、表情が輝いていました。通常の授業の集中力とは全く別の空気が流れています。4年生から6年生までの子どもたちが、学年を越えて、一緒に工夫しながら興じているクラブ活動。自分の好きなこと、得意なことを思い切り楽しんでいます。その姿は、昭和の時代に放課後、広場や公園で遊んでいた子どもたちの姿と重なりました。ルールづくり、喧嘩、仲直り等々・・・。昭和の時代に行っていたことが、クラブ活動の中で展開されています。ここにクラブ活動の重要性を改めて実感しました。
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自走する授業 「教育は愛」No.231

授業デザインを研究している教師の研究授業では、子どもたちが自走します。導入で教師が笑顔と流暢な英語で誘い、いつの間にか、学習ゲームの行い方を理解させ、子どもたちへゲーム開始を呼びかけます。子どもたちは嬉々として、学習ゲームに取り組み、授業のねらいである会話の定型を習熟させていくのです。このような授業は今までに見たことがありません。
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受験勉強 「教育は愛」No.216

受験勉強は、人生の節となり、受験する子どもの実践的なキャリア教育となるのが本義だと考えます。親に言われたから、有名な学校だから受験するのではなく、受験するには、子ども自身の意志が必要です。将来、このような職業に就きたい、そのためには、この学校で勉強したい。だから、私はこの学校を受験する。こうした明確な意志があることが受験勉強を人生の節にする条件となるのではないでしょうか。
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クリティカル・シンキング 「教育は愛」No.215

クリティカル・シンキングは、既存のルールや考え方を懐疑的に考え、よりよい方法はないかと客観的に考える考え方であり、それを行動に移す力です。この力は、激変する社会を生き抜いていく上で不可欠な力だと考えます。小学生段階から、実生活の中で学ばせることは、学校教育の中でももっと重視した方がよいと考えます。
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立ち直り方、壁の乗り越え方「教育は愛」No.213

イチロー氏が、米国野球殿堂入りの際にコメントされた中で「未熟さ、立ち直り方、壁の乗り越え方」という言葉が胸に響きました。教師のメンタル不調を考えた時、立ち直り方、壁の乗り越え方を身に付けることがとても肝要だと思ったからです。そして、この力は、私たちが教育している子どもたちにも身に付けさせなくてはならない力だと思います。どのように子どもたちに身に付けさせていくか?それは、学校生活のいろいろな場面で実行動を通して指導していくことが最も効果的なのではないでしょうか。
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挨拶を習慣化するために 「教育は愛」No.211

挨拶を生活目標にしている学校は星の数ほどあります。挨拶を習慣化するにはどうしたらよいのでしょうか。それは、挨拶をしてもすぐに挨拶が返って来なくても根気強く続けることです。習慣とは、繰り返しによって成り立つものです。ですから、挨拶ができるようになるまで、教師の方から諦めずに、何度も何度も繰り返し挨拶を行うのです。
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黒板とチョーク 「教育は愛」No.190

ICTの普及により、教室にはプロジェクターが設置され、教師や子どもたちのPCからプロジェクターへ投影されるようになりました。しかも、電子黒板機能の付いているプロジェクターでは、チョークではなく電子ペンで自在に書き加えることができるようになりました。教室は音を立てて様変わりしています。その反面、教師の板書能力の低下は否めません。板書は、教師の専門技能、と考えていた私には、その部分が腑に落ちないでいます。
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学校は誰の物? 「教育は愛」No.175

学校は誰の物? この根本的な質問にどのように答えるか? 自治体の物、首長の物、いろいろな考え方があるでしょう。私は、学校は、地域の物だと思います。学校に校長として着任すると学校の全権を手にしたような気になってしまう者もいるようです。しかし、学校の持ち主とも言える地域の方々が、学校にどのような期待を寄せているのか、それを丁寧にキャッチすることが必要だと考えます。その上で、学校を改善し、経営していくのが校長の務めではないでしょうか。
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研究発表会は必要? 「教育は愛」No.172

研究発表会を開催することが目的となっている研究発表会は、実践力が伴っていない気がします。研究とは、常に子どもたちを変容することができる実践力に結びつかなくてはならないと考えます。どうせ、開催するなら、万人が納得できるような実践力が豊富な研究発表会にしたいものです。