学校教育

学校の伝統 「教育は愛」No.274

学校の伝統には、歴史の古さや校舎、教育内容の特色等、いろいろな要素が考えられます。中学校や高等学校では、進学率も伝統のひとつでしょう。私は、現任校で2回の卒業式を経て、子どもたちの姿に伝統を感じています。それは「挨拶、返事、真心」です。昨年度も本年度も、担任の中に愛と情熱の溢れる教師が複数人いたのです。本気になって指導し続けた成果が、保護者や地域の皆様に感動を与えるような立派な態度となって表れたのではないでしょうか。学校の伝統をつくるもの、それは、教師の愛と情熱溢れる指導だと私は考えます。
学校教育

感動と真心 「教育は愛」No.273

卒業式で、卒業生の真剣でひたむきな表情、心に響く歌声に感動してしまいました。私は教師という職業に就いてから数え切れないほどの感動を子どもたちからいただきました。そのお蔭で今があると感謝しています。感動とは、子どもたちの真心から来るのではないでしょうか。教育とは人と人との心がふれ合う崇高な営みです。その心が真心となって相手に伝わった時、深い感動に包まれるのではないでしょうか。
学校教育

卒業式で思うこと 「教育は愛」No.272

毎年、卒業式を迎えると思うことがあります。それは、6年生の担任の1年間のご苦労の大きさです。よく、卒業生を指導したのは、6年生の担任だけではありません、という言葉を耳にします。確かにその通りです。しかし、実際に6年生を担任すると1年間、気持ちが休まることはありません。常にプレッシャーに追われるのです。ですから、卒業式で6年生の担任が、称賛され、リスペクトされることについて、私は当然のことだと考えています。
生涯学習

地域の教育力 「教育は愛」No.271

昭和の時代、いたずらをすると地域のおじさんやおばさんから遠慮無く叱られたものです。しかし、平成の中頃からでしょうか。地域のおじさんやおばさんは、我が子以外は叱ろうとしなくなりました。そして、学校へ電話をかけてきます。「地域でいたずらをしているから学校で指導してほしい」と。なぜ、その場で指導していただけないのでしょうか。地域のおじさん、おばさんが、子どもたちのことを愛し、悪いことをしたら叱ってくれる地域の子どもたちは、健全に育っていくはずです。地域の教育力は低下してしまったのでしょうか。
職場

人事異動は謙虚に真摯に 「教育は愛」No.270

人事異動は、謙虚に、真摯に受け止めるべきだと考えます。そして、新しい職場、新しい職種に人の和の力を高めながらチャレンジしていくことが賢明だと思っています。たとえ、未知の仕事、職場でも、人の和を活かせば、必ずや解決できるはずです。大切なのは、好ましい人間関係の構築です。
職場

チームとして 「教育は愛」No.269

学校は子どもたちを教育しています。ですから、時として担任はお山の大将的な稚気を振るい、独り善がりの教育をしてしまうこともあります。学校は、ひとつのチームです。学校の教育目標、校長の学校経営方針等は、教育委員会のビジョンを塾考して練られたものです。この方針をもって自分が担任している子どもたちの教育をつかさどることが必要になるのです。私たち教師の仕事は、すべて子どもたちの姿に表れます。そのことをしっかりと自覚して、チームで教育することを自覚する必要があると考えます。
教師

学ぶ姿勢と容貌 「教育は愛」No.268

論語の中に、学ぶ姿勢について大切なことを3つ書かれているものがあります。これによると心の中は、容貌に表れてしまうそうです。だからこそ、自分の心に誠をもち、崇高な志を持ち、容貌にもそれが表れるようにしておくことが大切であると説かれています。教師も、心のうちを子どもたちに読まれてしまうことがあります。心を常に浄化し、志を高くしておくことが教師には特に求められると思います。
教師

年度末の風景 「教育は愛」No.267

私が好きな年度末の風景があります。それは、今の学級の友だちや担任の先生が大好きで、このまま上の学年に上がりたいと子どもたちが口にする風景です。互いに愛おしがっている子どもたち、担任教師、その姿、風景が私は大好きです。担任時分は、そうした声を自分への一番の報酬だと考えていました。
学校教育

評論家と実践家 「教育は愛」No.266

評論家は、誰かがやらないからできないのだ、と他人の所為にして、自分の努力は語ろうとしません。実践家は、なぜ、できないのか、自分に何が足りなかったのかを省察し、謙虚に努力を重ねます。学校教育を推進する教師は実践家です。他人のことなど論じている場合ではありません。私は幾つになっても実践家として仕事に取り組む覚悟です。
生涯学習

切り花  「教育は愛」No.265

私は、切り花を飾るのが大好きです。担任時分には、切り花を通して、生命の大切さについて教えてきたつもりです。いつまでも枯れたままのお花を花瓶にそのままにしておくことは、命の教育においては、いかがなものか、と考えていました。花は見頃があり、散り際もあります。どこか人生に似ているように思うのは、自分の年齢の所為でしょうか?