学校教育

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クリティカル・シンキング 「教育は愛」No.215

クリティカル・シンキングは、既存のルールや考え方を懐疑的に考え、よりよい方法はないかと客観的に考える考え方であり、それを行動に移す力です。この力は、激変する社会を生き抜いていく上で不可欠な力だと考えます。小学生段階から、実生活の中で学ばせることは、学校教育の中でももっと重視した方がよいと考えます。
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立ち直り方、壁の乗り越え方「教育は愛」No.213

イチロー氏が、米国野球殿堂入りの際にコメントされた中で「未熟さ、立ち直り方、壁の乗り越え方」という言葉が胸に響きました。教師のメンタル不調を考えた時、立ち直り方、壁の乗り越え方を身に付けることがとても肝要だと思ったからです。そして、この力は、私たちが教育している子どもたちにも身に付けさせなくてはならない力だと思います。どのように子どもたちに身に付けさせていくか?それは、学校生活のいろいろな場面で実行動を通して指導していくことが最も効果的なのではないでしょうか。
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挨拶を習慣化するために 「教育は愛」No.211

挨拶を生活目標にしている学校は星の数ほどあります。挨拶を習慣化するにはどうしたらよいのでしょうか。それは、挨拶をしてもすぐに挨拶が返って来なくても根気強く続けることです。習慣とは、繰り返しによって成り立つものです。ですから、挨拶ができるようになるまで、教師の方から諦めずに、何度も何度も繰り返し挨拶を行うのです。
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黒板とチョーク 「教育は愛」No.190

ICTの普及により、教室にはプロジェクターが設置され、教師や子どもたちのPCからプロジェクターへ投影されるようになりました。しかも、電子黒板機能の付いているプロジェクターでは、チョークではなく電子ペンで自在に書き加えることができるようになりました。教室は音を立てて様変わりしています。その反面、教師の板書能力の低下は否めません。板書は、教師の専門技能、と考えていた私には、その部分が腑に落ちないでいます。
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学校は誰の物? 「教育は愛」No.175

学校は誰の物? この根本的な質問にどのように答えるか? 自治体の物、首長の物、いろいろな考え方があるでしょう。私は、学校は、地域の物だと思います。学校に校長として着任すると学校の全権を手にしたような気になってしまう者もいるようです。しかし、学校の持ち主とも言える地域の方々が、学校にどのような期待を寄せているのか、それを丁寧にキャッチすることが必要だと考えます。その上で、学校を改善し、経営していくのが校長の務めではないでしょうか。
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研究発表会は必要? 「教育は愛」No.172

研究発表会を開催することが目的となっている研究発表会は、実践力が伴っていない気がします。研究とは、常に子どもたちを変容することができる実践力に結びつかなくてはならないと考えます。どうせ、開催するなら、万人が納得できるような実践力が豊富な研究発表会にしたいものです。
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とことん追い込まない 「教育は愛」No.159

子どもが失敗した時には、とことん追い込まないことです。失敗を責め続ければ、子どもにはマイナスの感情しか残りません。それよりも、子どもが自分の良さに気づき、明るい気持ちで頑張ろうとするような叱り方、指導の仕方を考えたいものです。そのためには、日頃から子どもたちのことをよく観察し、叱る時にもその子の長所、良いところを添えてあげることが必要ではないでしょうか。
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時間を守る感性 「教育は愛」No.158

学校生活も、社会生活も「時間」で動いています。時間を守ることは、やがて社会で自立するためにも大切なことです。子どもたちに、「時間を守りましょう」と念仏を唱えるように繰り返しても子どもたちが行動に即移してくれるようにはなかなかなりません。もっと、教師の本気度を子どもたちに示すことが必要なのです。そして、子どもたちに時間を守らせようとしたら、教師自身も時間を厳格に守ることを実行しなければなりません。時間を守らなかった時、決して言い訳をしてはいけないのです。
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問題児への指導 「教育は愛」No.151

問題児と呼ばれる子ども、それは、たまたま教師や大人の思い通りの行動ができない子どものことを指しています。問題があるのは子どもたち一人ひとりの長所を見出そうとしない教師の側にあるのかも知れません。私も問題児として教師の手を煩わせていた子どもでした。自分の良いところを見出そうとして誉めてくれた教師には心を開くことができました。しかし、反対に、私の短所ばかりを指導しようとされた先生にはなかなか心を開くことができなかったものです。
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悪口を学級から閉め出す 「教育は愛」No.148

悪口は、いじめと同じです。小さな芽のうちに摘んでおくことです。悪口が学級の中にはびこると、人間関係に負の連鎖が生じてしまいます。学級に肯定的な人間関係を築くためには、悪口は、絶対に言わないこと、そういった教師の価値観を毅然と指導します。