学校教育ー17 教師はおしゃべりです
◆教師はしゃべり出すと止まらない。学校関係者以外の方と懇親会等をするとよく言われることです。
また、相手の様子を気にすることなく、延々と話しを続ける教師が苦笑されることも多々あります。
ある先輩の校長先生が「私は、全校朝会になるとついつい話が長くなってしまう。しかし、校長なんだから遠慮しないで、話したいことを余すことなく話すことにしている」と話してくれたことがあります。
確かに、教師は言葉によって子どもたちに学問を教え、望ましい生活態度を諭します。
ですから、教師にとって話す力は商売道具と言えます。道具は使えば使うほど、磨きがかかるものです。ベテランの教師ほど、話の引き出しを沢山持っています。話す機会を与えられれば、相手が何百人いようと、何時間であろうと、緊張することなく浪々と話し続けられるのが教師の持っている能力です。
しかし、単に話すことはできても、上手に話すこととなると日々の研究と精進が欠かせません。
話を聞いていて、ついつい引き込まれてしまう大先輩がいました。
その大先輩は、自分の話す力(話術)を磨くために、若い頃に落語の寄席に通ったそうです。落語家のテンポ、間の取り方が大変勉強になると言うのです。確かに、大先輩の話は、どこか落語に似ていて、必ずオチがありました。聞く者を飽きさせない工夫を落語から上手に取り入れていたのです。
また、ある大先輩は、使う言葉がとてもきれいで、その場にいる人の長所を上手に紹介しながら、参会している人たち皆が、気持ち良くなるような配慮に溢れていました。
この方は、日頃から若い後輩たちへの気遣いを欠かさない方でした。話していても、自分だけ気持ち良くなってしまうのではなく、周囲の空気を読み、人に不快感を与えないように話しを組み立てていたのです。
一方、周囲に気配りすることなく、自分の自慢話を蕩々とされる教師もいます。
しかも、自分の話を聴衆が喜んでいると勘違いしているのです。大して面白くもない話に、仕方がないから付き合って、頷いていることに気が付かないのです。このタイプの教師は、一方的な語りで、ユーモアのつもりで発したジョークもレベルが低く、定められた時間を必ずと言っていいほど延ばしてしまいます。
本人は話し終えた後、満足感に浸っていますが、聴衆は釈然としません。このような教師の話が世間一般からすると「教師はおしゃべり」という評価につながってしまうのではないでしょうか。
しかし、これは治らないでしょう。
このおしゃべり(話し方)は、その教師の授業スタイルそのものだからです。何十年となくこのような授業を続けてきて、ある種の自信さえ持っています。
子どもは、授業中はどんな教師の話でも仕方なく聞いてくれます。
しかし、授業以外の、しかも、子ども以外の聴衆相手となると・・・話し方にも人柄が表れてしまいます。
話術とともに、相手がどのように感じているか、察する力を磨かなくてはなりません。
※(話し方の向上のさせ方などについては「教育は愛」No.31 教師の商売道具「話し方」に書かせていただいております)