教育の中で扱う「遊び」の本質とは何か 「教育は愛」No.748

幼稚園

幼稚園ー教育の中で扱う「遊び」の本質とは何か

■ なぜ今日、このテーマなのか

幼稚園・小学校で「遊び」を扱う場面が増える一方で、 その教育的意味を誤解したまま指導に取り入れてしまうケースが後を絶たない—— そんな現場の危機感が、今日のテーマを自然に導きました。

■ 子どもにとっては目的、指導者にとっては手段

教育現場では「遊び」という言葉が誤解されやすいものです。 子どもにとっては遊ぶこと自体が目的ですが、 指導者にとっては 成長や発達に必要な体験をさせるための“手段” でなければなりません。

■ 「楽しければいい」は教育ではない

小学校の担任時代、体育の授業研究会でのこと。 低学年の「跳び箱を使った運動遊び」を参観した後、ある先生がこう言いました。

「運動遊びなのだから、子どもが楽しければそれでいいのでは」

この言葉に、私は強い違和感を覚えました。 「楽しければいい」で終わらせるなら、それは教育ではなく、単なる放任です。

■ 運動遊びは“意図を仕込む”教育課程である

跳び箱を使った運動遊びは、自由気ままに遊ばせる時間ではありません。 将来、本格的な跳び箱運動を学習する際に不可欠となる 支持感覚・跳躍感覚 を、遊びの中に意図的に仕込んでおくことが指導者の役割です。

低学年の発達段階では「開脚跳び」や「ハンドスプリング」をそのまま習得することは困難です。 だからこそ、遊びという形態を借りて、必要な基礎感覚を体験させるのです。

これが教育課程における「運動遊び」の本質です。

■ 幼稚園教育要領が示す「遊び」の意味

幼稚園教育要領解説には、次のように示されています。

  • 幼児期の生活のほとんどは遊びで占められる
  • 遊びは遊ぶこと自体が目的であり、成果を求めない
  • しかし、遊びには成長・発達にとって重要な体験が多く含まれる
  • 自発的な遊びは幼児期特有の学習である
  • 幼稚園教育は「遊びを通しての指導」を中心に行うことが重要である

ここで重要なのは、 子どもにとっては目的でも、指導者にとっては手段である という視点です。

■ 「遊び」を誤解すると授業が空疎になる

大人が一般的にイメージする遊びは「気晴らし」や「遊興」です。 そのイメージのまま学校や幼稚園の遊びを捉えてしまうと、 授業内容が空疎になり、単なる「お遊びの時間」に成り下がります。

教育の場で扱う遊びは、休み時間の自由な遊びとは根本的に異なります。 そこには明確な教育的意図が必要なのです。

■ 教育者がまず理解すべきこと

教育の場における「遊び」の重要性と教育的意図を、 教員・保育者一人ひとりが的確に理解すること。 そして、保護者にも自信を持って説明できること。

これが、教育のプロとしての責務ではないでしょうか。

☆読者への問いかけ

学校や幼稚園で扱う「遊び」と、世間一般の「遊び」の違いを、 あなたは明確に説明できますか。 そして、その意図を自信をもって保護者に伝えられますか。

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