上手くいかなかったところにフォーカスする  「教育は愛」No.819

55のメッセージ

55のメッセージー2 上手くいかなかったところにフォーカスする(教育編)

◆私は、体育の研究授業を数えきれないほど行ってきました。 自分のライフワークを「体育科教育」と定めたからです。

やがて、体育授業に対して独り善がりの自信を持つようになり、 自分の授業に満足しきったまま、筑波大学の髙橋健夫先生の研究室へ、 1年間の長期研修教員としてお世話になることになりました。

◆ 研究授業の“見栄え”という罠

授業研究会で公開する研究授業は、どうしても人の目を気にします。 市や県の委嘱を受けた研究会では、内容だけでなく、 対外的な見栄えや形式に走りがちです。 ましてや国の委嘱ともなれば、会場づくりや接待の細部にまで神経を尖らせるものです。

私は若い頃、体育の研究校に志願し、運よく異動させていただきました。 そこでは毎年、自主研究発表会を大々的に行い、 授業者は学習指導案・資料・検証データなどを「これでもか」と準備します。 そして当日、研究成果を滔々と発表するのです。 ほんの小さな成果でも、大きくクローズアップして。

私はそのスタイルを「研究の常識」と思い込み、 体に染みついていました。

◆ 人生の師からの一言

そんな私が、長期研修中の髙橋先生の研究会で、 鼻高々にプレ検証授業の結果を報告したときのことです。 先生から、静かに、しかし鋭く指導を受けました。

「どうして現場の先生は、研究授業で良かったところばかりをクローズアップするのでしょう? 本当に知りたいのは、うまくいかなかったところをどうするか、ではないでしょうか。 うまくいかなかったところにフォーカスして、その解決策を提案できるようにするのが研究ではないでしょうか。」

その瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受け、私の中で何かが崩れ、そして新しく生まれ変わりました。

◆ 授業研究の本義

教師は専門職です。 実践しながら研究し、授業力・学級経営力・保護者対応力などを磨いていくもの。 その中心には、常に 子ども がいなければなりません。

目の前の子どもたちを一人残らず向上させるために、 指導法・教材づくり・教師行動を研究する。 それこそが授業研究の本義です。

この“授業研究の命”を、私は髙橋健夫先生から学ばせていただきました。

◆ 見栄よりも、子どもを見よ

授業研究、大いに結構です。 しかし、下手なお世辞や賛辞を期待して、 見栄や形式、妙なプライドに支配されないようにしましょう。

自分がベストを尽くしてもうまくいかなかったところにフォーカスし、 子どもたちを誰一人取り残さない研究を目指してみてはいかがでしょう。

形式や見栄えを気にするよりも、 子どもたちから目を逸らさない研究を。

  「失敗の中にこそ、教育研究の真理が宿る」

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