生涯学習ー169 ドラマ『告白-25年目の秘密-』最終話から運命の出会いとは
麻里子の言葉が投げかけた「運命」の再定義
「あなたは、私の運命の人じゃない。偶然出会って偶然気が合って、それが運命の人なのかなって。でもきっと違う。全然素敵じゃない出会いをして、一緒にいる中であなたのことを知って、何十年も一緒にいて『運命の相手だったな』って思うんだって。今はそう思う。だから、あなたは私の運命の人じゃない。まだ。」
ドラマ『告白-25年目の秘密-』最終話で、麻里子が爽太に放つこの言葉に、私は思わずハッとさせられました。 私たちは日常で「運命」という言葉を軽やかに使いますが、その本質を深く考える機会は多くありません。
「運命」は突然降ってくるものなのか
物語の中で描かれる「電気が走るような出会い」。 私たちの潜在意識には、あの衝撃こそが“運命の出会い”だというイメージが刷り込まれているのかもしれません。
しかし「運命」とは「命」を「運ぶ」と書きます。 どこかから突然降ってくるものではなく、 自分の生き方の中で運び育てていくものではないか――。
麻里子の言葉は、その本質を鋭く突いていました。
自分で育てていく“運命の価値”
私自身の人生を振り返っても、「あれは運命だった」と思える出会いが数多くあります。 それは人だけではありません。 本、物、音楽、仕事、スポーツ……あらゆるものが含まれます。
長寿番組『開運!なんでも鑑定団』でも、依頼人の方が 「お店で見つけた時、運命的なものを感じて購入しました」 と語る場面をよく目にします。
けれど実際には、 その物を気に入り、手に入れ、愛でる時間の中で、 その物との“運命”を自ら育てているのだと思うのです。
つまり、 出会いに「運命」という価値を付けるのは、自分自身なのです。
幼稚園での日々に感じる運命性
私は今、幼稚園の園長として充実した毎日を過ごしています。 この職場にご縁をいただいたことにも、ある種の運命を感じています。
しかしその思いもまた、 日々の仕事、職場の皆さんとの協働を通して、 自らの手で紡ぎ出しているものなのかもしれません。
きっと何年後かに、 「さくら草幼稚園で働けたことは、本当に運命だった」 と愛おしく振り返る日が来るはずです。
努力が「運命」を形づくる
「運命」とは、突然どこからか降ってくるものではありません。
日々の生き方、考え方、そして努力の結晶が、 のちに「運命」と呼ばれるものへと育っていく―― 私はそう思います。
ドラマとの出会いもまた一つの運命
今回、心に深く響く言葉をくれたドラマ 『告白―25年目の秘密―』との出会いも、 私にとって一つの素敵な「運命の出会い」だったのかもしれません。
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