55のメッセージ44 心に染み入る伊達政宗の五常訓「教育は愛」No.874

55のメッセージ

55のメッセージー44 心に染み入る伊達政宗の五常訓(人生編)

◆仁、義、礼、智、信は、儒教における五つの徳目です。

この考え方を基に、戦国の世を生き抜いた伊達政宗が、バランスよく生きることの大切さを説いたものが「五常訓」だと言われています。

自らの価値観を絶対的なものとして、守り抜くことが求められた時代に、「過ぎたるは及ばざるがごとし」とばかりに、偏りのない生き方を説いたこの教訓は、とても興味深いものです。

人間関係のトラブルが心の健康にも影響を及ぼす現代社会においても、この五常訓は、私たちの心を救う言葉になるのではないでしょうか。

仁に過ぐれば、弱くなる

義に過ぐれば、固くなる

礼に過ぐれば、諂(へつらい)となる

智に過ぐれば、嘘をつく

信に過ぐれば、損をする

気長く、心穏やかにして、万(よろず)に倹約を用(もっ)て、金銭を備ふべし。

倹約の仕方は、不自由を忍ぶにあり。

ここまで読んだだけでも、職場や家庭など、さまざまな人間関係の中で仕事に翻弄されている現代人にとって、大変参考になる教訓だと思います。

事実、私自身も人間関係で悩んだとき、この教訓に救われました。

特に「礼に過ぐれば、諂となる」という言葉は、身に染みることがしばしばありました。

私は礼を尽くしているつもりでも、周囲から見れば、諂い、媚びているように映ったのでしょう。

そのことを陰で言われたこともありました。

何事もほどほどに……。

この経験から、バランス感覚の大切さを学ばせていただきました。

さて、伊達政宗の教訓は、さらに続きます。

此の世に客に来たと思えば、何の苦もなし

朝夕の食事、うまからずとも ほめて食ふべし

元来 客の身なれば、好き嫌いは申されまじ

私の心に深く染み入ったのは、

「此の世に客に来たと思えば、何の苦もなし」

という一節です。

自分が我武者羅になって突き進んでいくうちに、いつしか自分自身を厳しく追い込むようになります。

そうなると、気付かないうちに他人に対しても、同じような厳しさを求めるようになってしまうのです。

つまり、寛容さを失っていくのです。

「自分がこれだけ頑張っているのに、どうして、みんなは平然としているんだ!」

若い頃の私は、このように自分勝手に思い込み、要らぬ怒りの炎を燃やしては、疲弊してしまったこともありました。

もちろん、こうなってくると、人間関係も険悪になってしまいます。

そんなときです。

救いを求めるように自己啓発コーナーの本を買い漁り、伊達政宗の家訓とも言われる「五常訓」に出逢ったのです。

心が静かに落ち着きました。

それ以来、職場でも家庭でも、身勝手な怒りが込み上げてきそうになると、「五常訓」を思い出すようにしています。

「此の世に客に来た身なのだから、謙虚に慎もう」

そう自分自身に言い聞かせるのです。

すると、スッと心に清らかな風が吹き込んでくるような気がします。

ぜひ、お試しあれ……。

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生涯学習ー139 この世に客に来たと思えば | 教育は愛

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