学校教育ー159 教科書のページを飛ばす勇気 ~『余白』の必要性~
教科書を飛ばす記憶
みなさんは子どもの頃、学年末に教科書が数ページ残ってしまい、 先生が急ぎ足で授業を進めたり、 「ここは飛ばすね」と言われたりした経験はありませんか。
どこか少し損をしたような、不思議な気持ちになった方も多いと思います。
網羅主義からの転換
これまでの日本の教育は、教科書に書かれた内容をすべて教え切る「網羅主義」が基本でした。 「あれもこれも教えなければ、子どもたちの未来に間に合わない」— そんな大人の焦りや責任感の表れでもあったのでしょう。
しかし今、教育現場には大きな転換の波が押し寄せています。 次期学習指導要領の議論の中で、 「教科書を全部やらなくても大丈夫」 という考え方が前面に出始めているのです。
これは決して授業の手抜きではありません。 むしろ、これからの時代を生きる子どもたちにとって必要な“授業の姿”だと私は感じています。
「勇気」が生む余白
あれもこれもと知識を詰め込む授業は、どうしても大人のペースになりがちです。 ついていけない子が置き去りにされたり、深く考える時間が奪われたりすることもありました。
ページをすべて消化すること(=大人の都合)よりも、 目の前の子どもが「なぜだろう?」と立ち止まり、じっくり考える時間(=子どもの未来)の方が、 はるかに価値があります。
教科書のページを飛ばすには、大人の側に「勇気」が必要です。 しかし、その勇気が、子どもたちの心に 「時間と心の余白」 を生み出すことにつながるのかもしれません。
子どもの思考を育てる時間
ICTが当たり前のツールとなった今、知識の量だけで競う時代は終わりました。 これからは、ひとつの正解のない問いに対して、 仲間とトコトン悩み、じっくりと自分の答えを導き出す力が求められます。
大人が焦って答えで埋め尽くすのではなく、 子ども自身が思考を広げられる「余白」を残すこと。
それこそが、激変する社会をたくましく生き抜く力を育むのではないでしょうか。
これからの教育の方向性
余白は、子どもたちに創意工夫を促し、 自らの考えを深めさせる絶好の機会となります。
今回の議論を知り、 知識量を前面に押し出した授業からの本格的な転換を、 現場の教師も真剣に考える時期を迎えていると強く感じました。
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