55のメッセージー45 命は残された時間(人生編)
◆「命とは何だろう?」
そんなことを考えたことがあります。
とても抽象的な問いかけです。
しかし、人生を重ねるうちに、私は一つの答えに辿り着きました。
「命とは、自分に残された時間なのではないだろうか」
ということです。
何年も前のことになります。
親戚の葬儀の際、読経してくださったお坊さんが、葬儀の結びに、親族に向けてお話をしてくださいました。
「人は、誰もみな、例外なく天に帰ります。今、生きていること、生かされていることに感謝して、毎日を生活していただきたい。そして、故人のことも時折でいい、思い出してあげてください」
今でも心に残っている言葉です。
人には寿命というものがあります。
そんなことは、子どもの頃から分かり切っていることです。
しかし、その事実を身をもって知り、命の有限さを実感するのは、近しい人とのお別れの時なのかもしれません。
かつて、優しく面倒をみてくれた親戚が、眠るように棺に納められている。
もう二度と話すことも、笑顔を見ることもできない。
頭では理解していても、亡くなったことが信じられないのです。
そうしたお別れを幾度も経験するうちに、いつしか棺に眠る故人の姿に、未来の自分の姿を重ねるようになりました。
寿命が尽き、自分が天に帰る時は、いつ訪れるのか分かりません。
しかし、その日は確実に、一歩ずつ近づいているのです。
還暦を過ぎてから、私はその思いを一層強くするようになりました。
「私に残された時間は、あとどのくらいあるのだろうか?」
そして、思うのです。
今、自分に与えられている時間。それこそが、私に与えられた命なのだ、と。
だからこそ、今、生きていること、生かされていることに感謝しながら、この時間を大切に使いたい。
そのように考えるようになりました。
校長時代のことです。
若く、教育に燃える先生と、校長室で教育談義に花を咲かせたことが何度もありました。
子どもたちのこと、授業のこと、教師としての在り方など、話題は尽きません。
話し終えて校長室を退室される際、その先生は笑顔で丁寧にお礼を述べてくださいました。
「校長先生、貴重なお時間をありがとうございました」
私は、こうお答えしました。
「先生とお話しした時間は、私にとってもかけがえのないものでした。こちらこそ、ありがとうございます。また何かありましたら、遠慮なくお話しください。先生との時間なら、私はいくら費やしても惜しくありませんから」
先生が校長室を退室された後、ふと、自分が笑顔になっていることに気づきました。
何とも言えない、清々しい気持ちでした。
若い先生と教育について熱く語り合った時間。
それは、私にとっても、かけがえのない時間だったのです。
教育談義に花を咲かせたあのひとときは、私の命を鮮やかに燃やすことができた、素敵な時間だったのです。
そして、今日という一日を生きた中で、大切な思い出となる一コマでもありました。
時間を大切に使うということは、決して、無駄なく効率的に過ごすことだけではありません。
誰かのために心を尽くすこと。誰かと喜びを分かち合うこと。誰かの明日を応援すること。
そんな時間の積み重ねこそが、命を大切にすることにつながるのではないでしょうか。
私に残された時間も有限です。
だからこそ、この限られた時間を大切に使いたいと思います。
大切な人たちとの関わりのために。
そして、教育という営みを通して、少しでも社会に貢献するために。
繰り返しになりますが、私がこのような境地に辿り着いたのは、還暦を過ぎてからのことです。
もっと早くから意識していれば、もっと有意義に、自分の時間を、そして命を使うことができたのではないか。
そんな思いが頭をよぎることもあります。
しかし、過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。
後悔している時間もまた、私に残された大切な命なのです。
だから、過去を悔やむのではなく、「今」を大切に生きたいと思います。
今、生かされていることに感謝しながら、前を向いて歩んでいきたいのです。
「命」とは、私たち一人ひとりに与えられた、かけがえのない「時間」。
そして、その時間をどのように使うかは、自分自身に委ねられています。
※「時間」は「命」です。
皆さんも、どうかご自分の大切な時間を、ご自分らしく、有意義に過ごされますように。
一日一日が、心豊かな時間となりますように。
陰ながら応援し、お祈りしております。

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